2009年5月23日土曜日

読み聞かせに極意はあるのか (1) - 自分も本を好きになることが大切

すこし前の話になりますが,毎日新聞に「絵本:読み聞かせの極意」という記事がありました。記事の中身に関しては別の機会で触れることにして,自分の考えを整理するために,私なりの考えを書いてみようと思います。

この記事のタイトルを見たとき,「極意か...。なんだろうな。ん? いや,そもそもそんなのあるのかな」と思いました。読み聞かせをするにあたって,アドバイスをすることはできます。コツなんてものもひょっとしたらあるのかもしれません。でも,極意となるとどうでしょう?

極意の意味を調べると,「極意–学問や技芸で、核心となる事柄。奥義」 (goo 辞書より) とありました。「読み聞かせの奥義を掴めば,読み聞かせの師範代!」みたいなことを想像してしまいますが,そんなのあるんでしょうか。私はないと思います。言い直すと,奥義のようなものがある世界ではないと思います。

単に言葉づかいの問題ではなく,これは大事なことです。これさえ掴めばうまく読み聞かせ出来るなんていう考えで読み聞かせても,失敗するでしょう。

読み聞かせは,TV ゲームのような世界の話ではありません,生身の人間のコミュニケーションの場です。そこには確かにコツのようなものはあります。でも奥義はないでしょう。そして,奥義のようなものはないと考えていることがとても大切だと,私は思います。自分の目で見,肌で感じ,判断することです。それが大切です。

そして,もっと大切なこと。それは「自分も本をほんとうに好きになること」です。ほんとうに好きなことを話している人の目は輝いています。嫌いなことを話しているとき,目は輝きません。そして,目を輝かせながら話している人の話は,聞いていてとても面白いし,楽しいものです。

子供にとって,親がそんな風に話しているとどうでしょう。子供はきっと受け止めてくれます。

ほんとうはそんなに本は好きではないのに,読み聞かせていても,残念ながら読み聞かせは上手くいきません。好きじゃないのに奥義のようなものを考えながらする --- それは,作業です。仕事です。それは面白くありません。楽しくありません。聞いている方はもっとです。

酷な話かもしれませんが,それが真実だと私は思います。

つづき)
読み聞かせに極意はあるのか (2) - 読んであげようなんて思わないこと

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