4/10 追記)
この本を借りてから、しばらくして NHK 教育で「オバケちゃんとおこりんぼママ」を放送し始めるという偶然があって、娘は非常に喜んでいました。
借りて帰って娘達に読み聞かせていたところ,不思議な感覚を持ちました。「へぇ,クモの糸で作ったコップか...面白いけど,なんかひっかかるな」そして読み進めていくとオバケちゃんが挨拶をするシーンがありました。
「こんにちは。かいじゅうじゃありません。ぼく、オバケちゃんです。ねこによろしく。」
「んん? 『ねこによろしく』どっかで聞いたことあるぞ。オバケの挨拶としてよく使うフレーズなのかな?」と思いました。そのとき私は,自分が子どもの頃に同じシリーズの「オバケちゃん」を持っていて,よく読んでいたことにまだ気づいていませんでした。そして娘達からもう一度最初から読むように言われ,先の「クモの糸のコップ」のところに再び来た時,自分も昔おばけの本で同じコップの話を読んだことがあるような気がしたのです。(実は,「気がした」だけで思い出していませんでした)
ネットでさっそく「オバケちゃん」を検索しました。
そう,私の持っていたのは,オバケちゃんシリーズの「オバケちゃん」の古い版でした。挿絵はいとうひろしさんではなく,小薗江圭子さんのものだったのです。でも,おとうさんの「クモの糸のハンモック」,お母さんの冷たい息で作る「クモの糸のコップ」,それにそそぐ「虹色のジュース」,そして「オバケちゃんのあいさつ」は (当たり前だけど) 同じなのです。こんなに特徴のあるモノなのに,ネットで検索し,小薗江圭子さんの挿絵を見るまではっきりと思い出せませんでした。
私の頭の中のオバケちゃんのいる世界は,小薗江圭子さんの絵で描かれていたからです。
だから,あれほどなかなか思い出せなかったのに,ネットで小薗江圭子さんの絵を見たとたん,いろいろなシーン (挿絵) が次々に出てきました。
お話が「オバケちゃん」と「オバケちゃんとむわむわむう」とで違うとはいえ,私は驚きました。絵本の挿絵は大好きだし,絵本の世界への橋渡しをしてくれる大事なものだとは思っていましたが,その挿絵の影響の強さを改めて感じました。その挿絵でその絵本の世界が子どもの頭の中で構成されるのですね。だから,いとうひろしさんの挿絵を見ても私の頭の中にあるオバケちゃんの世界をひとつも思い出すことができなかったのです。
私が絵本の挿絵について考えさせられた話でした。
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