昨日「なぜ読み聞かせをするのか?」という日記を書きました.読み聞かせは親子が時間の共有することが大切な意義で,言葉を覚えるだとか,情緒が豊かになるとかは,その次の話という事を書きました.
同様に,本当はその意義や大切なことは別にあるのに,副次的なことだとか,結果として起きることに注目されてしまっているんじゃないかなぁと思うことが時々あります.
例えば食育.私は食を通じて子供を育成することだと理解しており,規則正しい食事をすること,親子の語らいの場としての食事を大切にすること,食べ物を大切にすることだと思っています.そしてそういう事を通じて「なぜ大切にしなければいけないのか」をわかってもらうことだと思っています.
なのに,順番が逆だなぁと感じることをよく耳にします.それは,食が子供に及ぼす影響とかを考えて,「○○っていう影響があるから,こどもには□□っていう食事や,食べさせ方を云々......」などという事です.これは「食育の育」を「教育の育」にしているようで,しっくりきません.私は教育のために何かをするよりも,何かをしていることが教育につながる方を良しとしているので,気になるのかもしれませんね.
しかし,そもそも子供にとって毎日起こる全てのことが勉強です.親は子供とのいる時間全てを使って,子供を育てるべきです.ことさら食だけを特別視するのも変な話です.そして育てるというのは,一方的に教えるという行為ではなく,対話を通じて理解しあうことだと思っています.その対話のアプローチは「○○だから□□しなさい」よりも,「□□って大切.どうしてだと思う? ○○だから」が好きです.
私の言う "逆の順番" で子供に向き合うと,アプローチも前者になる気がします.これは親の価値観に子供を合わせようとするアプローチだし,上手く行かなかった時に子育ての鬱憤もたまるアプローチです.子供に考える時間を与えてあげる余裕も欲しいですね.
2006年10月29日日曜日
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