2006年4月30日日曜日

機会の損失

今年のゴールデンウィークは、大阪にある私の実家でのんびり過ごしています。今日は娘に絵本でも買ってあげようと、散歩がてら近所の本屋さんに行きました。1Fがスーパーマーケット、2F以上は衣料品や生活用品が売っている複合施設の、3Fにある本屋さんです。

「幼児向け絵本はあるだろうか?」心配していましたが、絵本売り場は棚2つ分の大きさがあり、思ったよりも品数もありました。でも、よく見るとびっくり。絵本全部に透明のビニールシートが被せてありました...。絵本って、中身を見ないと買えないよね...。本の後ろに解説もありませんし、確認できるのはタイトルと表紙だけです。

ビニールカバーを被せてある理由は、それなりにあるんだと思います。子供が汚してしまうとか、破いてしまうとか、店にとって困ることもあるんでしょう。でも、お客はもっと困ります。これじゃぁ amazon.co.jp で買った方がまだましです。本の紹介やレビューも見られるので、自分の子に合うだろうかと検討することも出来ます。今後、「なか見!検索」が充実してくると本の閲覧も可能になるでしょう。なのに、本屋さんで手元に本があるのに、ビニールが被せてあって中身も見れないとは...。

しかも、陳列されている絵本に随分と偏りがあるようにも思えました。有名な絵本や子供に人気のあるキャラクターの本がたくさん並んでいます。ひょっとしたら違うのかもしれませんが、中身が見れないので本を探す気持ちも失せよく見ていません。今となっては悪い印象だけです。

しかたがないので、前から目を付けていたこぐまちゃんの本と、子供が好きな松谷みよ子さんの本を買いました。

これじゃぁ最初から、有名な本しか売れない理由を作っているようなものです。大人向けの書籍にカバーはないのに子供の本にはカバーをつける。何か理由はあるにせよ、排除する方向に向かうのではなく、どうしたら書店もお客さんも両方が喜べるだろうかという建設的な方向に向かって欲しかったです。

だって、ある程度子供が大きくなったらカバーがかけられている状況をどう説明すればよいのでしょうか。子供は初めから本を汚すつもりはありません。本を見たいだけです。そのときに売っている本は汚しちゃダメよっていつ教育すればいいのでしょうか。子供に親がしつけをする機会も失っています。大変ばかばかしい話です。

「子供だからこれでいいか」と思ったのではないと信じたいですが、なんとなくそんな気がします。大人になると子供の頃のことはすっかり忘れてしまう。馬鹿になっちゃうんだなぁとつくづく感じます。

2006年4月26日水曜日

[絵本レビュー] どうぶつのおかあさん

キャラクターものでない絵本でもこどもは喜ぶんだというお話の続きです。

私と娘が好きな本に、「どうぶつのおかあさん」という絵本があります。どうぶつのおかあさんが自分のこどもを運んでいる様子を見開きページいっぱいに書いています。それも実に写実的で写真のようです。可愛いキャラクターものの絵本とは正反対の位置にある本だと思います。

以前に、「最初に本当の姿を知る大切さ」というタイトルでアマゾンにもレビューを書きましたので、一部引用します。

...この絵本は、よくあるカワイイ絵本ではありません。このような絵本は、最近は好まれないのではと感じます。でも私は最近、カワイイ絵本よりも本当の姿に近い絵の本が好きになってきました。理由は、私の子供がこの本のような写実的な本を好むということと、カワイイ(往々にして、ディフォルメされている)絵は大人の視点であって、子供の視点ではないと考えるようになったからです。

ディフォルメされた犬を見てカワイイと思えるのは、ホントの犬の姿を知っているからですね。では、本当の動物を知る前の子供は、カワイイ絵を見てどんな風に感じているのでしょうか? おそらく、大人が書いた意図とは違ったように子供は解釈しているはずです。...(以下略)...

私は、今でもこのように思っています。でも、別にキャラクターそのものを否定するつもりもありません。我が家にもキャラクターものの食器やおもちゃもあります。私のペンネームも、Peanuts の Rerun Van Pelt からとっています。しかしながら、まっさらの子供にはできるだけ偏らずいろんな物を見せてあげたいと思います。私達大人は十分に偏っているので、子供に話す事、教える事もどうしても何かに偏りがちです。でも、「できるだけ、ほんの少しでも複数の視点でものを見せたい」そう考えています。

私がキャラクターものをあまり好ましく思わない理由は、「ほら、これは可愛いんだよ」という押し付けがましい(かつ、商魂逞しい)雰囲気をどうしても感じてしまうからなんだと思います。可愛いかどうかを決めるのは子供であって、あんたではないと思ってしまうのです。

全部の視点を見せるのは不可能だけど、せめて複数の視点がある事だけでも子供に伝わればなぁと願います。

2006年4月25日火曜日

常勤産婦人科医が2年で8%減る

朝日新聞に、「産婦人科医、2年で8%減 非常勤への異動など影響か」(asahi.com, 2006年04月24日掲載)という記事が載っていました。日本産科婦人科学会が調査・公表した内容の報道なのですが、この記事によると
全国の大学病院と関連病院に常勤する産婦人科医が2年間で8%減り、お産の扱いをやめた関連病院も相次いでいる

ということで、具体的には、下記のような数字が上げられていました。
常勤産婦人科医の総数は03年4月には5151人だったが、05年7月には4739人に減った。特に近畿(13.4%減)、北陸(10.2%減)両地方での減少が目立った。お産を扱う関連病院も03年の1009病院から、2年間に95病院(9.4%)減っていた。

うーむ。深刻ですね。妻に聞いた話ですが、私の家の近くの産婦人科も分娩をやめるとの噂が立っているそうです。テレビでも産婦人科不足の報道は時々されているのを見ます。場所によっては近くに産婦人科のない町というのもあるそうです。

こういう話を聞くと、政府は真面目に少子化対策を考えているんだろうかと疑いたくなります。確かに出産補助も大事でしょうが、生む場所がないって方が深刻な問題なのは誰が考えてもわかることです。カネで解決するのが簡単で手っ取り早いので、「出産一時金増やしますよ」とか「子供の医療費を手当てしますよ」とかいう話にすぐなるんでしょう。

実は、健康保険からの補助などがあるので、産むのにそんなにはかかりません。しかし、なぜか出産は全て自費診療であったり、出産に伴う検査などが一部有料化されたりというふざけた現実があります。

結局、「出産したことのない若いやつらはそんな細かいこと知らないし、選挙にも来ないから対策するだけ無駄。でも少子化対策してるパフォーマンスはしたいから、カネを出す補助の話はしよう。でも負担増のところは言わないでおこう。」ってのが政府のホンネだと思います。

2006年4月22日土曜日

読み聞かせは、自分が楽しむことが大事

子供に絵本を選んであげようと思ったり、どんな良い絵本があるのかなぁと思ったりして、インターネット等で絵本を調べることがあります。そういうときによく見かけるのが、
  • 子供はキャラクターものじゃないと興味を持たない
  • この絵本は絵が可愛くないので子供には受けない
という意見です。そのような意見を持たれる方の中には、お子さんに確かにそういう傾向がある方もおられるのでしょう。それは子供の好みの問題ですし、また意見自身は良い悪いを言えるものではありません。ですから、その意見を否定するつもりは私にはありません。しかし、そういう意見の内容が、これから読み聞かせをしようとしている子供に当てはまるかどうかは十分に考える必要があると思います。

キャラクターものじゃない本に子供が興味を持たない理由は何でしょうか? 本当にその絵本が子供にとってつまらないのでしょうか? 本当につまらないと思っている場合、その理由がキャラクターものや可愛い絵じゃないからとは関係ないところにあったりはしないでしょうか? もしくは、読み聞かせをするその人がキャラクターものやカワイイ絵じゃないと楽しめなかったりはしないでしょうか?

読み手が楽しめる・楽しめないというのは、子供に絵本を読み聞かせる場合、とっても重要な...おそらく最重要なことがらです。大人でも話を聞くとき、話し手が楽しんでいないとそのお話はつまらないものになりますよね。話し手が楽しんでいるかどうかっていうのはとっても大事なんです。読み聞かせにも同じ事が言えます。だって、子供にとって絵本は単にお話を聞くだけのものではありません。両親や親しい人とのコミュニケーションをする道具なんです。

読み聞かせをしていると、子供は会話を仕掛けてきますよね? 読み聞かせる人は子供と会話をしながら、たまには横道にそれながら、絵本を楽しむ訳です。絵本に書かれある事を淡々と読む事が読み聞かせじゃないし、そんなのでは子供は楽しくありません。

話を戻しますが、子供が絵本に興味を持ってもらえないとき、読み聞かせをする人自身がそれに興味がなくて、「つまんない」と思って読んだり、自分が好きなキャラクターの絵本のときは、楽しそうに絵本を読み進めたりしていないでしょうか。子供ほど、大人の感情を読める人はいません。「つまんない」と思っているとそれは子供に伝わってしまいます。

読み聞かせは、自分が楽しむことがいちばん大事なんだと私は考えます。つぎに子供の年齢や興味に合った内容。キャラクターものであるとか、かわいい絵であるとかは、大人が考えているほどは問題ではないのだと思っています。

2006年4月21日金曜日

[絵本レビュー] がたん ごとん がたん ごとん

先日のブログで、絵本選びが難しい、特に 0 〜 1 歳児への絵本を選ぶのが難しいと書きました。子供が書いている事が理解できるような絵本を選ぶのが難しいと言う事だったのですが、今日は私が、「よくできているなぁ」と感心した絵本を紹介します。

イラストレータ安西水丸さん作の、「がたん ごとん がたん ごとん」という絵本です。汽車が「がたん ごとん がたん ごとん」とやってきて、「のせてくださーい」と言う乗客を次々に乗せていく、それだけのお話です。子供の喜ぶ同じセリフが繰り返すとってもシンプルなお話。でも、乗せる乗客がすばらしい。

乗客は、哺乳びん、コップ、スプーン、リンゴ、バナナ、ネコ、ネズミ。ネコ・ネズミはともかく、その他のものは、どこの家にもあり、子供が毎日慣れ親しんでいるものです。それだけに、子供の反応はとっても良いです。うちの子供はまだ話せませんが、「コップどーれだ?」「リンゴどこかな?」というと、ニコニコして指差します。リンゴを掴むまねをして私にくれたりもします。

子供が本を読むとき、現実にはない本の世界に入るのも楽しみの一つですが、それはまだまだ先のお話。普段の生活を絵本の中にも見つけ、それを親とお話ししながら楽しんでゆく...それが乳幼児の頃の絵本の楽しみの基本だと思います。そういう意味で、この絵本は私のおすすめの絵本です。

ただし、家の近くに電車が通ってない子供には、「電車の意味が分からない」ので、同じ理由で楽しめないかもしれません(笑)。

2006年4月19日水曜日

絵本を選ぶ難しさ

我が家は、童話館ぶっくくらぶに入っているので、子供に毎月2冊の絵本が長崎から送られてきます。他人に本を選んであげるのは難しいですが、子供...0〜1 歳児...に絵本を選んであげるのはもっと難しいです。童話館では、絵本を選ぶ選任スタッフが子供の年齢とその子の好みに合わせた配本リストを作ってくださるということだったので、入会したのですが、そこで私は、絵本を選ぶ難しさと、我々大人がいかに固定観念に縛られているかを再認識する事になります。

子供に絵本を買ってあげようと思うとき、どうしても「かわいい」絵本を買ってあげたくなります。その「かわいい」っていうのはたいていデフォルメした動物だったりします。ですが、0〜1 歳児っていうのは、デフォルメする前の動物すら知らないのです。つまり、そこに書いてある「なにか」がわからない状態です。「ぞう」自体がわからないのに、その「ぞう」がデフォルメされていて「かわいいな」って思うはずありません。そこには、やはり我々大人の思い込みがあると感じます。たとえ興味を持ったとしても、「かわいいぞうさん」とは思っていないのです。本物を知らないのですから。国によって「かわいい」の尺度が違うのも、子供の頃に「これがかわいいのだ」と教えられるからなんだとも思いました。

そういうことを感じているのは私だけではなさそうです。ぶっくくらぶからは、本と一緒に会報が送られてくるのですが、そこにはスタッフの方が 0 歳児用の本の選択に悩まれていることが書いてありました。そうか、専門のスタッフの人も悩んでいるんだなぁと絵本の難しさを痛感しました。

子供は本当にゼロの状態からスタートします。彼・彼女の頭にあるのは、自分と両親、そして、いつも使っているスプーンだったり、くつしただったり、そうじきだったり、ごくごく周囲のものに限られます。本当は、そういう日常の一部を切り取った絵本が欲しい。実際に読み聞かせをすると、0 歳の頃はそういう絵本の方が子供は喜びます。でも、なかなかそのような本は少ないようです。結局大人の尺度で子供が喜ぶだろうと思う本を作るからでしょうね。

子育てをしていると、子供からたくさんのことを教えてもらえます。子供に教えてもらった事を自分のモノにしてゆければなぁと思う毎日です。

2006年4月18日火曜日

ヒトゲノムマップ一般配布

方々で話題になっていますが、文科省が一般向けに解説されたヒトゲノムマップを配布するそうですね。全国の小、中、高校に計4万枚も配るそうですが、「日本はこれからゲノムで勝負する」という宣誓なんでしょうね。ウェブサイトも用意されていますので、興味のある人はどうぞ。JavaScript をゴリゴリ使った派手なページで、たいへん面白い動きをします。それだけでも一見する価値ありです。ポップアップウィンドウがブロックされているとちゃんと見えませんので、ブロックを外してから見ましょう。

ただし、文科省のウェブサイトが、高負荷のため落ちているのかアクセス出来ません。足下をもっと固めましょうね。

2006年4月17日月曜日

書き続けること

オルタナティブブログに、「blogを続けるべき理由(「手帳ブログ」のススメ)」というブログを見つけました。そのブログで「手帳ブログ」のススメという本が紹介されていたのですが、この本は「書くことを通じて自己成長を図る」ことがテーマになっているのだそうです。

書くことは、初めてみると結構パワーの必要とすることだと気づきます。自分は何を書けるのか・何を書きたいのかもわからなかったりします。それは、書くこと自身が「漠然と考えていた事の整理を促す」からだと私は思っています。私はまだこのブログに書かれているように、「書くことで日々の発見をして、自己成長をする」ところまでは到達出来ていませんが、せめてブログを書き続ける事で、書く事を習慣づけられたらなぁと思います。

2006年4月15日土曜日

入力と出力の関係(人間の場合)

数ヶ月前から、気にかかっていた事があります。それは、「情報を入力(収集・聞く)し過ぎると、人は出力(話す・書く)するのが減る」のではないかということです。ここでいう出力(話す・書く)っていうのは、日々のおしゃべりやメールではなく、今書いているブログや仕事上での成果物などを指しています。単純に考えれば、たくさん情報を収集した方が出力量は多くなるし、しっかりとしたモノが出来そうです。でも「そうじゃないのでは?」と思い始めたという訳です。

最近、私は Google Reader を使ってニュースサイトやお気に入りのブログを読んでいるのですが、ついつい登録するサイトの量が多くなってしまい、たくさんの情報のシャワーを浴びることになりました。すると、とたんにブログの更新頻度などが落ちてしまったのです。その時は「時間は限られているので、入力の方に力を入れると、出力がおろそかになるのかなぁ」と考えたのですが、「他にも原因がありそうだなぁ」とも思っていました。

入力量が多くなると、出力量が減るのではなく、人間は考えるのやめてしまい、そのために出力量が減るのではとも考えたのです。というのも、仕事の成果物でもブログでも、しっかりと自分の頭で考えないと出来上がりません。「考えない」→「出力しない」という流れです。

そんなことをつらつら思っていると、オルタナティブ・ブログこんなブログを見つけました。

何か結論を出すことを回避するために、常に情報を集め続けることを安易な逃げ道にしている


確かに...。そういうことはあると思いました。自分の結論を出すのが怖いので、たくさんの情報を集めることで安心し、考えないというのもその中の一つで、人がハマりがちな事だよなぁと思いました。

「入力量が増えれば、出力量も多くなる」と単純にはならないところが、人の難しいところであり、面白いところだなと思います。情報のシャワーを浴びることは心地よいのかもしれませんが、心地よさのあまり排水溝が詰まっていることを忘れていると、腐った水で自分も腐るなんてことになりかねませんね。

2006年4月14日金曜日

よーぃ、どん!

mixi や社内の閉じたところにブログを書くことはありましたが、開かれたところにブログを書くのは初めてです。インターネットの流行り始め、学生の頃に初めて自分のホームページを書いて、「これが不特定多数の誰かに読まれるのか」とドキドキしたのを久しぶりに思い出しました。このブログがどういったものになってゆくか楽しみです。