我が家には 5 歳と 3 歳の娘がおります。土日は彼女達と遊ぶ日々が続き,「週末くらいは○○したいな」とかいう願望もなかなか叶えられませんが,「おとうさん,一緒に遊ぼ!」と言ってくれるのはそう長くありません。ですから,土日はほぼ一日中一緒にいるようにして,平日も寝る前の絵本はできるだけ私が読むようにしています。なかなか疲れることも多いのですが,妻はもっとたいへんでしょうから,頭が下がります。
さて,こんな風に子供と暮らしていると,「少しは楽したいな」とか「楽する方法はないかな」と思ってしまうのは自然です。もちろん私も思います。そして,商魂逞しい企業からは,甘い誘いがやってきます。「この教材を使うと子供が自主的にひらがなを楽しみながら覚えられるし,親の負担も少ないですよ」という具合です。教育分野だけに限りません。ありとあらゆるところから,「うちの○○サービスを使うと,子供も楽しめるし,パパ・ママも楽しく,らくちんですよ」というようなお誘いがあります。
私はそういうたぐいのサービスや商品をあまり好きではありません。全部を全部否定する訳ではありませんし,うまく活用すればいいものだと思います。利用しようかなと思うこともあります。ただ,その状況を少し冷静に見て欲しいと思うのです。
教育商品を購入したとして子供が学習したとします。もしくは何かのサービスを受けて子供が楽しんだとします。さて,その価値を子供に提供したのは誰でしょう?もちろん購入したのは親ですが,それ(=たいてい自分がすると面倒なこと)にお金を払ったのは,それに価値があるからです。
さて,親は子供に何をしてあげられたでしょうか。
子供は親から何かをしてもらったと実感出来るでしょうか。ましてや,親の動機が自分が楽するためであったなら,子供はどういう風に感じるでしょうか。
私の意見は,子供が小さいうちは自分が実際に動いて,子供と一緒に遊んだり過ごしたりすることで,親としての責任をまっとう出来るということです。そして,それは”自分が面倒だなと思うこと”をするということです。自分でしたことは,きれいじゃないかもしれない,洗練されていないかもしれない,おしゃれじゃないかもしれない,でも親自身が生み出したものです。子供は本当に良くわかってくれます。それは親がしてくれたことであることを。子供はどこに価値があるか・誰が提供してくれたかを理解しているのです。
そして,あまりやりたくないと感じるこの方法が,実は本当は子育てを楽にする方法であると私は思っています。
2009年10月8日木曜日
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