それは,「絵本を読んであげよう・読み聞かせよう」なんて思わないことです。
そんなこと思わずに,一緒に楽しめばいいのです。読んであげようなんて思った瞬間に,主従の関係ができ,そして,その延長に教育してあげようという思いが親側に発生しやすくなります。読む方・聞く方ならまだしも,教える方・教えられる方の関係になってしまった段階でその読み聞かせは失敗します。
子供はそんなことは望んでいません。親と絵本を通じてコミュニケーションしたいだけなのです。絵本の世界を親と楽しみたいだけなのです。その中で子供は色々なことを自然に得ていきます。親から教えることなんて,何もないのです。ですから,読んであげようなんて思わないことです。
前回紹介した毎日新聞の「絵本:読み聞かせの極意」という記事に次のような質問があります。
一生懸命読んでも聞いてくれません
同じ絵本ばかり読みたがります
これらの質問・相談の背景には,「読んであげよう・読み聞かせよう」という思いがあるように感じます。一生懸命になんて読まなくても構わないのです。子供が嫌になったら止めて,また誘ってあげればよいじゃないですか。同じ絵本ばかり読んでも構わないじゃないですか。
「公園に行くと滑り台ばかり滑りたがります」という相談は変に思うでしょう。でも絵本なら「同じ絵本ばかり...」と思うのはなぜでしょう。他の絵本を読ませたいのじゃないでしょうか。その思いは一旦どこかにしまって,子供と絵本を楽しもうと思って下さい。自然に絵本をたくさん読むようになると思います。
参考)
読み聞かせに極意はあるのか (1) - 自分も本を好きになることが大切
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