園長先生のお話がありました。先生が壇上で「おはようございます」と挨拶すると,園児達も「おはようございます」と応えます。先生はこう続けられました。
「昨日は入園式でした。そこで先生が挨拶をしても,お友達はあいさつできません。幼稚園が初めてでわからないからです。でも,みんなは誰も何も言わなくても『おはようございます』と挨拶出来るようになりました。そして,お話もせず,手をお膝の上に置いて,先生のお話をしっかり聞けるようになりました。」「確かに去年はあいさつどころではなかったものな。みんな成長したな」と思いました。そして「見えないこと」を学ぶという先生の言葉がとても印象強く残りました。
「先生は幼稚園は見えないことをできるようになるところだと思います。先生は幼稚園では難しいことをしようとは思いません。お友達と仲良くしたり,お話が聞けるようになったり,それだけで十分です。」
私も幼稚園は字とか算数とかじゃなくて,鍛えにくいことを学ぶ場だと思っていますが,「鍛えにくいこと」よりも「見えないこと」の方が表現として良いですね。子供にもわかりやすい言葉で説明されるのは,さすが園長先生です。
「見えないこと」というのは何物か説明しがたいという意見もあるでしょうが,私はそれをそのまま捉えた方が大事なことを見失わないので,いい表現だなと思います。
例えば「見えないこと」の1つの「集中力」を養いたいと思ったとき,その手段として「机に座って字を習う」ことをするとします。でも,いつの間にか手段が目的化してしまい,「字を習う」ことが目的のようになってしまうことがあります。捉えどころのないものを,捉えられるものに落とし込んでから学ぶと,目的がすり替わってしまいやすいものです。
でも「見えないこと」というままに目標をおくと,そのようなすり替わりはないと思います。捉えにくいのは難点なんですけれどね。
でも,長女の幼稚園の先生方は,それを目標に園児達と接して下さったのでしょう。長女はその「見えないこと」を学び,成長しました。とても難しい指導だと思います。そのような「見えないこと」を指導して下さった先生方に感謝しています。
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