2009年11月16日月曜日

地図は本の世界へのみちしるべ

本の地図って不思議な魅力があります。

私なんかは,本の表紙を繰ってそこに細かな地図があったりしたら,「このお話は面白いに違いない」とつい思ってしまうほど,地図が好きです。

そして,お話を読みながらいちいち地図のあるページに戻ってきては,主人公が冒険 (地図がある絵本はたいてい冒険ものです) をしていく跡を確認します。

それで,「そうか,ここで川を渡ったんだな」とか思いながらお話を思い返すのです。そして,なんだか本に書かれている冒険の世界がよくわかった気になります。主人公と一緒になって冒険しているような気になります。

そんなことありませんか?

エルマーのぼうけん (世界傑作童話シリーズ)昨日は図書館から「エルマーのぼうけん」を借りてきました。妻に読み聞かせてもらいながら,長女はいちいち地図をみせてもらい,「あぁ,こう歩いたんだね」とか言ってお話を楽しんでいました。娘達も本に載っている地図が大好きなのです。

本の地図は不思議です。普通の地図が読めない人も本の地図は大好きだったりします。私は,地図が私達を本の世界へ導いてくれているからだと思っています。

2009年11月15日日曜日

[絵本レビュー] ロージーのおさんぽ(パット・ハッチンス さく)

4 stars単純なんだけどおかしい
長女 (5) が図書館で選んだ本です。実は「ロージーのおさんぽ」を借りるのはこれで 3 度目,結構お気に入りの絵本のようです。

お話はすごく単純です。キツネがニワトリを捕まえようと追いかけます。でも,それっとばかりに飛びかかる度に失敗ばかり。池に落ちたり,干し草の山に飛び込んだり。そのキツネの失敗と顔の表情がおかしいのか,我が家の娘達はその度にウケけています。ニワトリの何も気づかずに,無表情でどんどん進む姿も面白いですよ。

昨日のエマのしごとも良い絵本ですが,このような文章が少なく単純で,絵がしっかりしている絵本も大好きです。

この手の絵本を読む時は,私は子供と一緒に絵をじっくり見ます。すると,目立ちませんが脇役がしっかり役を演じて (?) いて,お話に深みを持たせてくれていることがわかります。子供と「ヒツジさん何言っているんだろうね」とか言いながら丁寧にお話の世界に浸ることが好きです。

2009年11月14日土曜日

[絵本レビュー] エマのしごととともだち(グニラ・ヴォルデ 著)

4 stars話の質が良い。教育的な話だけど,とても自然でくどくない
今日は 娘達が (5 歳 と 3 歳) が寝る前の今日の読み聞かせにと,「エマのしごととともだち」を選びました。この絵本は 2 冊組で,「エマのしごと」と「エマとピーター」からなっています。そして,わたしのこの 2 冊とも好きです。

エマのしごと「エマのしごと」はエマが "なおしやさん" になって,こわれたおもちゃを直していくお話です。最後には,あやまってカナヅチで自分の指を叩いてしまった弟の指も直してあげます。

器用なお姉ちゃんと何でも興味を示して危なっかしい弟が,我が家の長女と次女に重なって面白い。私は結構気に入っている絵本です。

一方,「エマとピーター」は少し深いお話です。なかよしのピーターとエマとの同じところ,違うところが語られています。例えば歳が同じ。でも,エマには両親がいる一方でピーターにはお父さんがいなくておばあちゃんがいます。エマには弟がいるけどピーターには犬がいます。また,同じ恰好をして遊ぶことがあるけれど,遊んだあとのおやつのチーズサンドとトマトサンドを食べる順番が違います。

エマとピーターそして,この仲の良い 2 人は違うところをうらやましく思っています。例えば,エマは自分ちにも犬がいて一日中遊びたいと思っているけれど,ピーターはたまには一人で遊びたいと思っている --- という具合です。

この絵本はこう結ばれます。
もし,ふたりが,おなじような子どもで,
おなじことをするのが すきでしたら,
いっしょにいても,きっと,いまのはんぶんも
たのしくないでしょう。

なかなか,深い話ですね。もちろん子どもは「なんで?」と聞いてきます。私は,「全部同じだったら,違った遊びを思いつくこともないし,ごっこ遊びしても,みんながおなじ役をしたがるのって楽しくないよね」とか言っています。

私の答えも日によって違っているし,内容は別にどうだって構わないと思っています。この絵本のいいなと思うところは,「友達との違い」みたいな話題を自然に子どもとできるところです。子どもも私の意見に対して何か言う時もあって,"考えを伝えあう" ことが出来る時があります。そんな話に自然に導いてくれる絵本はあまりありません。そして,学校時代に配られた道徳の教科書みたいに押し付けがましくないのがもっといいです。

最初に紹介した「エマのしごと」も,おもちゃを直してまた遊ぶということがさらりと伝わってきて共感出来ます。

私は道徳の教科書的な押し付けがましさや,作られたようなさわやかさが嫌いなのですが,この 2 冊はとても素直な気持ちで読めます。おはなしの質の良さというのは,こういうところに現れてくるのかもしれません。

2009年11月5日木曜日

木のおままごと道具

先週末,わが町ではお祭りがありました。駅前と周辺道路が封鎖される,規模のそこそこ大きなお祭りです。駅近くのはらっぱではフリーマーケットもありましたので,面白い物はないかと物色に行きました。

妻はみごと木のおままごと道具を発見。400円なり。

木のおままごと道具は欲しいなと思っていたおもちゃです。ですが,数をある程度揃えようとすると値が張るので買うのをためらっていました。

今回買った道具は部品がなくなってしまっているのもありますが,娘たちにはこれで十分。長女は嬉しそうに抱えて帰りました。ちなみに,彼女達はこれまで,100円ショップで買った木のフォークやナイフ,使わなくなったみそ汁椀とお盆をおもちゃとして遊んでいました。ですから,揃っていないとはいえ,写真のようにたくさんの道具が手に入ったのが嬉しかったようです。

彼女達は,さっそくメルちゃん相手におままごと遊び。いつもなら休みの日は謎のごっこ遊びに付き合わされてヘトヘトになるのですが,この日は少しゆっくり出来ました。

2009年11月3日火曜日

絵が描けなくなった --- こどもは具体的,大人は抽象的だから?

抽象的な考え方は,人間の得意とするところです。

たくさんの物事を一般化したり,抽象化したりして,「要はこういうこと」というように覚えることで,細かな違いを無視でき,結果としてたくさんのことを扱えるようになります。大人はそういうことが得意ですし,興味がある人達です。一方子供達は具体的なことに興味があります。大人が枝葉末節だとして捨ててしまうことや,個々の細かな違いに意識が向きます。

ここに動物のフィギアがあったとします。大人は「これは動物のおもちゃだ」とひとくくりにするだけですが,子供は違います。全部の動物に個性を感じるのです。全部違うからです。それで子供の世界には,悪者のライオンがいたり,良い者のペンギンがいたりします。一人遊びをしていても,好きなフィギアをひいきしたりして,ゲームに勝たせてあげたりします。そんな経験ありませんか?

だから,なんなんだと思うような話ですが,これは子供がまだ未熟であるということではありません。実は逆に大人はとても大事なことを忘れてしまっているのではないかと思っています。

例えば,大人になると絵が描けなくなる人が多いのです。というのも,動物 --- 仮に犬としましょうか --- を描こうと思っても,犬を一般化したものを描こうとして,結局本当のところではそれがなんだか分かっていないので,描けないのです。

一方,子供はすいすい書きます。あり得ないような色を使うこともありますし,名前までついていることもあります。彼・彼女は一般化した犬を描いているのではなく,ある特定の犬を描いているのです。

もちろん,子供のように細かなことや大人にとってどうでも良いことをいちいち覚えたり,気にしていては,仕事ができないかもしれません。生活ができないかもしれません。でも,本当は分かっていないのに,分かったような気になっていることも事実としてあるようです。

私は,大人になって見えなくなってしまったものは何なのかを知りたいと思います。

追伸 2009/11/17)
ことしの 1 月にも同じような投稿をしていました。私のなかでよほど気になっていることなんでしょうね。