2009年4月20日月曜日

[絵本レビュー] ぎょうれつ ぎょうれつ(マリサビーナ・ルッソ 絵と文)

5 stars人の話が聞ける子に---まずは自分が子供の話を聞かなきゃな
ぎょうれつぎょうれつぎょうれつぎょうれつ
マリサビーナ・ルッソ
徳間書店, 1994年11月
大人でも絵本から気づかされることはたくさんあります。「ぎょうれつ ぎょうれつ」は私に気づきを与えてくれた絵本の1つです。

主人公のサムは,お母さんの「おひるごはんですよ。いらっしゃい」の声を聞き,自分の部屋からキッチンまでぎょうれつを作りながら行くことにします。最初 は,積み木。次に,本,おふろのおもちゃ,くつ,おもちゃのじどうしゃと並べていきます。おかあさんは,「サム,スープがさめちゃうわよ」とせかします。 ところが,あと少しでキッチンというところで,並べるものがありません。とうとうサムは自分をぎょうれつの最後に加えて,目をつぶって両手を思い切り伸ばし,キッチンまでのぎょうれつを完成させます。

目を開けると,お母さんの顔があります。「なにをしているの?」というお母さんの問いかけに,「ぼくのへやから おかあさんのところまで ずーっと ぎょうれつしてきたんだよ。」と答えます。そこでお母さんはなんと言ったでしょうか。
「ほんと,すごいわね」おかあさんは ながい ぎょうれつを
みてから サムをだきあげました。
「でも こんど おかあさんが よんだら すぐ くるのよ」
サムは にっこりわらって うなずきました。
お母さん,余裕の対応ですね。きっちり諭しているのもすばらしい。私はこんな対応はできそうもありません。もちろん,「親の言うことは聞きなさい」と叱ることも一つの対応です。が,どちらにしても親には余裕が必要です。余裕がないと「どうして,言うことを聞かないの!」と怒りモードになります。

叱るのと怒るのとは大違い。怒って子供に対応しても,子供は「怒っているな」と思うだけ。しつけの対応としてはあまり良くありませんね。どのように対応するにしても,心の余裕は欲しいものです。

私は,子供には自分の意見をはっきり言え,人の意見も聞ける子になって欲しいと思っています。それにはまず親の見本です。自分も子供の話が聞けないとなと思いました。

「ぎょうれつ ぎょうれつ」は,そんなことを考えさせてくれた本です。

2009年4月19日日曜日

2歳と4歳に自転車のプレゼント

いきなり自転車 かじとり式 レモンライム娘達がずっと前から欲しがっていた自転車を先日買ってあげました。Peopleいきなり自転車 かじとり式という自転車です。色は,長女にはレモンライムを,次女にはアップルを選びました。

ネットで既になにを買うのかを決めていたのですが,試乗のため近所のトイザらスに行きました。ちびの 2 歳の次女には無理があるかなと思いましたが,本人のやる気もあって,全然 OK です。帰って,安心してネット通販しました(笑)。ちなみに,他の自転車も見ましたが,よくあるキャラクターものの自転車は作りがいまいちなところがありました。乗り物なので,やっぱりしっかりしたものの方が安心です。

さて,最近はトイザらスのようなお店よりもネットの方が安いですね。「ハンドル」と「かじ」を取り付ける必要がありましたが,女の人でも簡単に出来るような作業なので,ネット通販もオススメです。
いきなり自転車 かじとり式 アップル

土日はどちらも近所の原っぱで自転車に乗り,虫を追いかけ,青空の下でおにぎりを食べるという一日を過ごしました。しばらくは,自転車の練習が続きそうです。

2009年4月16日木曜日

みんなちがって,みんないい --- けど,競うことは辞めたくない

金子みすゞさんの「私と小鳥と鈴と」という詩が話題だそうです。はじめてその詩に触れたとき「よい詩だな」と思いました。とても共感出来るないようだったからです。

私は小さな時から --- 小学1年生だったと思いますが --- 知らず知らずのうちに母親から,おそらく母自身も無意識に多様性を教えられていました。「○○くんは勉強が得意だけれど,走るのは苦手でしょ。でも,△△くんは走るのが1番速い。だから△△くんは○○くんより走ることがすごい。勝てないもんね。勉強でも,走るのでも,絵を描くことでもみんなよりすごいことがあれば,その子はすごいんだよ。」

そして,今お仕事でお世話になっているお客様も多国籍企業で,多様性が重視されています。そんな環境にいる私が,「よい詩だな」と思ったのは自然なことなのでしょう。

ただ,日本でこのような話をした時に,「多様性」を「競争しない」と混同して使われることがあるのが,私にとって不自然でなりません。競争はあってしかるべきで,でないと成長がありません。それぞれの得意分野では競うべきなんだと強く思います。そう状況であってはじめて「違う」けど「いい」になれるんだと思います。日本で問題なのは,評価されるポイントが極めて少ない,もしくは1つしかないことです。そういう環境でしか生活していないので,違うこと認めた瞬間に,競わないことになってしまうのだと思います。

やっぱり一番は目指すべきだし,上にあがった人は賞賛されるべきです。そして,みんながそれぞれの得意分野で競えるように,評価される点は多様であるべきです。

2009年4月15日水曜日

見えないことを学ばせる

4/11 は,長女の幼稚園の始業式でした。園児達は長い式の間も私語をせず,前を向き,先生のお話を聞いていました。1年前を思えば,同じ幼稚園のホールで入学式があり,園児達は泣き叫んだり,立ち上がったり,後ろに座っている親の方をうかがったり,集中を欠いていたりしたものです。ずいぶん成長したものだと思いました。

園長先生のお話がありました。先生が壇上で「おはようございます」と挨拶すると,園児達も「おはようございます」と応えます。先生はこう続けられました。
「昨日は入園式でした。そこで先生が挨拶をしても,お友達はあいさつできません。幼稚園が初めてでわからないからです。でも,みんなは誰も何も言わなくても『おはようございます』と挨拶出来るようになりました。そして,お話もせず,手をお膝の上に置いて,先生のお話をしっかり聞けるようになりました。」
「先生は幼稚園は見えないことをできるようになるところだと思います。先生は幼稚園では難しいことをしようとは思いません。お友達と仲良くしたり,お話が聞けるようになったり,それだけで十分です。」
「確かに去年はあいさつどころではなかったものな。みんな成長したな」と思いました。そして「見えないこと」を学ぶという先生の言葉がとても印象強く残りました。

私も幼稚園は字とか算数とかじゃなくて,鍛えにくいことを学ぶ場だと思っていますが,「鍛えにくいこと」よりも「見えないこと」の方が表現として良いですね。子供にもわかりやすい言葉で説明されるのは,さすが園長先生です。

「見えないこと」というのは何物か説明しがたいという意見もあるでしょうが,私はそれをそのまま捉えた方が大事なことを見失わないので,いい表現だなと思います。

例えば「見えないこと」の1つの「集中力」を養いたいと思ったとき,その手段として「机に座って字を習う」ことをするとします。でも,いつの間にか手段が目的化してしまい,「字を習う」ことが目的のようになってしまうことがあります。捉えどころのないものを,捉えられるものに落とし込んでから学ぶと,目的がすり替わってしまいやすいものです。

でも「見えないこと」というままに目標をおくと,そのようなすり替わりはないと思います。捉えにくいのは難点なんですけれどね。

でも,長女の幼稚園の先生方は,それを目標に園児達と接して下さったのでしょう。長女はその「見えないこと」を学び,成長しました。とても難しい指導だと思います。そのような「見えないこと」を指導して下さった先生方に感謝しています。